1833 7月7日ベルギー ナミュールに生まれる。
1851 ブリュッセル自由大学の哲学準備課程に入学。
1857 6月28日、ナミュールの裁判所判事の娘、シャルロット・ボレ・ド・ファヴォーと結婚。 ポールとジュリエットをもうける。
1863 < ワロン地方の埋葬 >制作。
1864 5月にナミュールを訪れたシャルル・ボードレールと出会う。
1881 ベルギーの出版社との共同制作で「愛の島」(シテール)的な13点の扉絵を制作。 数年掛かりで挿絵を完成させ、ようやくテオドール・アノン著「歓喜の詩」が出版される。 序文はJ・K・ユイスマンス。
1882 シリーズ「悪魔的なるもの」を制作。
1883 ブリュッセルで「二十人会」が設立され、ロップスはこの会に誘われる。 ジョセファン・ペラダンが「1883年のサロン芸術論」のなかで、初めてロップス論を発表する。 この頃から、近代的な生活を明確に描く絵画を捨てて、「悪魔的なるもの」に端を発した考察に浸り、 象徴主義へと向かう。ロップスがペラダンの「至高の悪徳」「感性秘伝」のために制作した2点の扉絵は この変化を示唆している。 また、この時期ペラダンの紹介で、バルベー・ドールヴィーと会い、翌年同様の傾向を持つ 「悪魔のような女たち」の挿絵を完成させる。
1886 < 娼婦政治家 >が「二十人会」の展覧会でスキャンダルを起こす。
1888 ポール・ヴェルレーヌから「平行に」の扉絵制作を依頼されるが、 その制作は1896年まで掛かり、「肉」の挿絵としてその依頼に答えることになった。
1898 8月23日65歳ドウミ=リュンヌの邸宅で亡くなる。









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